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アムゼルくんの世界 Die Welt des Amselchens 

<   2008年 09月 ( 35 )   > この月の画像一覧

好きな場所


28日の日曜日は、静かで穏やかな秋の一日でした。

豚児は、仲間と映画を見にでかけ、家内は学会のための論文書きに集中、ということで、ひとりゆっくりと撮影散歩ができました。

九月も最後の日曜日、このところもちだすことの多い、ペンタックス・K100Dがおともです。

そしてここが近所ではいちばん気に入った場所。


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家のすぐ裏の遊泳場の裏門です。しかしここからは出入りはできません。あくまで非常用のようです。

夏の盛りには、ここから遊泳場の混み具合が確認できます。もちろんこんなところからの撮影はしません。

今年は冷夏でほとんどここでは泳げませんでした。せっかくの40ユーロほどの年会費も無駄になりました。でも誰からの補助もなく会員からの会費で維持するのは大変でしょうから、しかたがありません。ここが閉鎖にでもなったら困ります。

いまはもう誰もいない池に秋の午後の柔らかな光がそそぐ様子が見えます。来年は、暑い夏が来るように祈りながら、こんな風景をながめていると秋の風が身体にしみてくるようです。



さてしばらく留守にします。そのためこのブログもその間は休みます。

では、みなさんお元気で。029.gif
by amselchen | 2008-09-30 05:17 | Sigma 17-70/2.8-4.5

世界のフシギ


といっても、狭い「世界」の中でしか世界を見ないものの言い草では話にならない。しかし世界のすべてを見通すことはフツーの人間にはできない。

悟りを得たもの、あるいはなから世界のヒミツにアクセスできるものなら別ではあろう。がしかし、そういうものになったところで世界を把握しつくすことは不可能だろうと思う。

世界はどうも意識、あるいは想念がつくりだす現象であるということらしいから、どうしたところで結局はいたちごっこで追いつけるはずはない。

それならば、せいぜいポジテイヴなイメージで世界をつくり上げてしまおうではないか。


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黒い葉の植物があったっていいじゃないか。よせくる黄昏のなかでかすかに微笑まんとするような花がそれにくっついていたってこれまた善し、と受け止めてしまおうではないか。

世界がそのとき少しわかったような気がする。
by amselchen | 2008-09-29 05:39 | Tessar 2.8/50

ありふれた珍しさ


植生も昆虫の生態も、ドイツと比較して、もちろん日本と比べても南チロルではまったくちがっていました。

昨日の写真の蝶も、これから紹介する蝶も、わたしには珍しく、夢中で撮ったものです。


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これは<Kaisermantel>(皇帝のマント)という名前らしいです。

なぜそれを知ったかというと、ほれこのとおり、


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そう名づけられると、たしかにそのような模様にも見えます。いわれなければそうは見えないので、これも言葉の力でしょうか?

それはともかく、自然保護区のためか、訪れる旅行者に親切な掲示板が独伊両国語で、あちこちに立てられているのです。

これによると、昨日アップした蝶は、<Widderchen>(雄羊ちゃん)というらしいですね。

あのあたりでは、ごくあたりまえのものなのでしょうか、誰も注意していている人はいませんでした。

まあ、過疎の村ゆえ、人そのものが少ないのですが。

人が少なければ少ないほど自然はよく保たれる、これがあいにく事実なのでした。
by amselchen | 2008-09-28 05:54 | ZD40-150

野に光満ちて


夏がふくらんで世界に満ちていたころ、その野には見知らぬ草や花、そして虫たちの生気にあふれていた。

南チロルでは、イタリア人たちも自然の中で満ち足りているように見えた。

もっとも田舎嫌いの面倒くさがり屋で、次の角のピッツアリアへさえ車を乗りつける、というナポリ人はこんな山へなどやっては来ない。

そしてその過疎の村では、ほとんど人気がなく、草や花、そして虫たちの天下であったのだ。


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惜しみなく注ぐ光、木々と高原を渡ってゆく風、野の中を隠れるように流れる小川、たのもしく背後にひかえる山々。

それらの思い出の利息でこれからの昏い季節をやり過ごす、そのトレーニングが始まった。

夏に撮った写真は大いなる力でわたしを支えてくれるだろう。あとは、パヴァロッティの唄があれば、またこの冬もやり過ごすことができるだろう・・・・か?
by amselchen | 2008-09-27 04:39 | ZD40-150

アメリカの夜


フランソワ・トリュフォー監督の同名の映画を憶えていらっしゃる方ももう少なくなったことでしょう。トリュフォー自体ももう忘れかけられているかも知れません。

昔、ハリウッドでは特殊フィルターをかけたレンズで昼間撮影したものを夜間のように見せかけていたそうです。高感度フィルムがまだなかったころのことでしょう。

ヌーヴェル・ヴァーグとよばれるフランス映画の潮流は、かなり外国映画、とくにハリウッドのものに影響を受けていました。しかしハリウッドに影響を受けなかった映画なんてあるのでしょうか?「天皇」とよばれたクロサワもジョン・フォードや『ベン・ハー』への思いを滔々とかたっていたものです。

それはともかく、ここでは昼間に特殊技術で夜間のように見せかける、という点に注目してみます。

つまり撮影した画が見るものの意識を裏切っている、ということです。また、そのような撮影技術で見たものとはちがった形象を切り取ることができる、ということも意識的に習得することも必要かな、と思うわけです。

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by amselchen | 2008-09-26 06:37 | Pancolar 1.8/50

記録と記憶


写真にはもちろん記録する、という機能があるのですが、しかし往々にしてその記録されたものが記憶とことなっているのはどういうことでしょうか?

人の記憶はあやふやで、写真の記録が正確だ、というのがジョーシキ的判断でしょうが、はたしてそうでしょうか?

写真が記録したはずの形象が本質を表しているとは限らず、記憶の中の印象にこそ真実が宿っている、ということも人間にとっては正しいと思います。

ただ、人間そのものが往々にしてして心理的、無意識的な存在であることを考慮にいれての話なのですが。


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夏の間、元気に咲いていた花々ももうひっそりと姿を消してゆこうとしています。

写真に撮ったその姿には植物学上の意味などありませんが、やはりその時のわたしの心象がよく反映されているのかもしれません。

肉眼で見る風景がすべて心象風景であるのと同様に、写真に撮られた現象世界もまた撮影者の心象を映し出すだけなのかもしれません。
by amselchen | 2008-09-25 06:35 | Pancolar 1.8/50

英国式


英国式というものは難しい。なにが、といってその扱い方ですわ。時に鬱陶しいほど保守的、時には想像を絶した前衛。どうすればあんな風になれるものか、さて。

まあ、この歳になると保守的のほうにぐっと親しみをもってしまうものですが、たとえばこれ。


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こんな前々世紀的なラベルのついたビン入りのジャムなぞ、もう英国にしか生存できないものではないか、とつくづく思うのです。

ちなみにドイツではどんなか、というと、こんなです。


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なんだか、蓋を開ける前から風味の差がわかってしまうではありませんか、ねえ。
by amselchen | 2008-09-24 04:26 | Pancolar 1.8/50

幻想の光


こうしてある季節がすぎさってみると、どうしていつも悔恨の思いがぶりかえすのだろうか?

なにものかかけがえのないものを、みすみす取り逃がしてしまった、という思い込みなのだろうか?

そのときは有り余るほどあった光も、いまはもう、ない。

ただうすどんよりと重なった古綿が空一面にたれさがり、数々の悪行の報いである、とばかりに感覚が麻痺させるがごとくじわじわとしめつけてくる。

明かりを灯せ、ありとあらゆる明かりをできるだけ多く、そして目も眩むばかりのそれらの人工の光で気鬱を消毒する一時の幻想に浸るのだ。

薄明かりのたれこもる出口のない午後、惰眠をむさぼって目覚めるとすでにあたりは闇に沈んでいる。まるで死んでしまったかのようにけだるい脳。


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もっと光を、とつぶやきつつ瞑目した詩人は、きっと南の国の古い夢に救われていたのかもしれない。

そうだせめて夢を見よう、それが儚い白昼夢であろうと、わたしの意識が感覚という肉体の桎梏をのがれて無意識の大海原へと開放されることを夢見てわるいはずがない。

日陰に咲いた花々がうつらうつらと夢見ていた夏の、今は遠ざかって行くばかりの光の名残を惜しんで、散った花びらはそのまま地に帰そう。

いまはまだ、かすかなぬくもりをたたえる、それがやってきた場所へと。
by amselchen | 2008-09-23 04:54 | Pancolar 1.8/50

秋をとびこし冬のような日曜日


鳥は「とり」あえずあきらめて、タムロンの70-300mmを外へもちだしてみました。

前回ものべたように、天気は最悪、気分はぜんぜん盛り上がりません。それでも家にこもっていても落ち込むばかりなので散歩へくりだした、というわけでした。

くりだして、最初に撮ったものがこれ、そう、「クリ」です。


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落ちたイガをわっても出てくるのは未成熟な実ばかり。もう少しで食べられるようになるでしょう。

撮影にかまけるわたしにかまわずどんどん先へ行く敵を望遠で・・・


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そしてゴルフ場のバンカー一帯に住むカナダ・ガンを。いつのまにか増殖しています。百羽近くはいるでしょうか。かなり遠くなので換算600mmでもせいぜいこの程度にしか引き寄せられません。


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今日は、絶不調の天気でとぼしい光量でしたし、気分もよくなかったので撮影成果もさんざんなありさまでした。いつかこのリベンジを、と誓った冬のような午後でした。
by amselchen | 2008-09-22 05:32 | Tamron 70-300

晴れのち曇り、600mmの効用


と、いうわけで、今日(日曜)は朝からE-520にタムロンの70-300mmを装着して庭に面した窓辺でスタンバイしていました。
案の定やってきましたね。

シジュウカラでした。


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たしかに倍率はあがってます、でもフォーサーズでは600mmの超望遠になる300mmですが、いかにも暗いですね。ISOは800まであげてシャッタースピードを500まで稼いでいますが、どうもうまくないようです。ノイズだらけです。

天気は昨日の晴れから一転して曇り、しかも分厚い雲がずっしりとのしかかるような低気圧で薄暗い最悪の空模様、まあ釣りにはサイコーの状態ですが、暗ければそれだけ野鳥撮影には不利です。

とはいえ、明るくても大きくて重く、しかも高価なレンズはどうもね・・・
ううむ、何かソリューションを考えねばなりませぬ・・・
by amselchen | 2008-09-22 03:29