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アムゼルくんの世界 Die Welt des Amselchens 

<   2008年 08月 ( 31 )   > この月の画像一覧

森有正をちゃかす男

『地球の歩き方』を出版するダイヤモンド社から、「旅の雑学ノート」というシリーズも出ていたことをご存知ですか?

中でも『香港・旅の雑学ノート』は大傑作ですが、「パリ」編もなかなかのものです。

その『パリ 旅の雑学ノート』の二冊目のあとがきに、作者の玉村豊男氏は、以下のようなものを記しています。

「哲学者の故・森有正氏は、どこか外国へ行くと・・・・氏はノートルダム寺院と心中しそうなほどフランスに同化した人だから、外国というのはフランスと日本以外の国ということだが・・・まずその土地のホテルに投宿するとすぐに浴衣に着替え、ゆったりと寝室の肘掛け椅子に腰をおろして、書物などとり出しおもむろに読みはじめるという。

そんなエピソードをどこかで読んだことがあるが、さすがにえらい哲学者は違うものだ。」


というような揶揄するがごとき、しかし一抹の尊敬の念はまぜながら、という玉村氏らしい素敵な文章です。


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わたしは、どちらかといえば、といわずとも、いたって雑駁な人間ですから、森有正のような重厚なマジメの上にもマジメな、そしてしかも情感あふれた文章などにかかわっているより、東海林さだお氏のエッセイかなんかを床にねっころがって読み散らしながらガハハと笑っているほうがよほど気は楽なんですね。

しかしながら、人間には、とまた一般化してしまいそうなので、急いで訂正すれば、わたしにはある程度の堅苦しい規範などというものが必要らしいのです。

そこで、森有正の文章なんぞをもちだしてカッコつけてるわけなんですよ。そこんとこわかってね。

まあいずれにせよ、このブログは写真がメインで文はオカズなので、読み飛ばしてもらえば、それでいいのですが。
by amselchen | 2008-08-30 06:01 | Macro-Elmarit-R 60

生きるという定義


「人間は誰しも生きることを通して、自分の中に「経験」が形成されてゆく。今、経験ということを説明していることはできないが、それは煎じつめれば、人間が過去からうけついだ歴史的なもの、それが、事故の働きと仕事とによって、自分自身のものとして定義されること、そういうものだと思っている」(「思索の源泉としての音楽」より引用。『遥かなノートルダム』所収)



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「経験」はある人の生を定義するものであると同時に、その人のたつ文化的背景と切り離すことができず、また文化的伝統も、一人一人の「経験」(生きることそのもの、と言いかえてもいいかもしれません)を通して定義しなおさなければならない、といっているようです。

これもまた、<個は全体であり、全体は個である>ことを違う視点から言い直しているようにも見えます。
by amselchen | 2008-08-29 04:42 | Tessar 2.8/50

遥かな森有正


「念のためつけ加えると、僕はここで別に経験論哲学を論じようというのでもなく、また経験というものを学問的、論理的に定義しようというのでもない。そうかといって、経験というものを、俗にいう経験を積んだ人、という場合の意味に解しているのでもない。

このあとの意味では、経験というものは一つの手段の意味に、金を溜めるこつ、という場合のこつを心得る、という意味に近いものとなるが、そういう意味に解しているのでも勿論ない。

僕の言おうとする経験がこの二つの意味にも何かの点で触れることは否定できないが、そういう意味は、さしあたり関心の外にある。僕にとって大切なのは、妙な言い方をすると、経験がどういうものか、ということの経験である。」
(『遥かなノートルダム』所収「霧の朝」から引用)



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かって昭和でいうと45年から55年ころ、つまり西暦では70年代ですが、日本の学生の誰もが、というと誇張でしょうが、少なくとも学生であった私が知る範囲で、よく読まれてていた森有正ですが、今はもう忘れ去られた作家に数えられるでしょう。

そこでこれから、手元にある『森有正全集』を紐解いて、わたしが当時感じいり、そしてわたしの「経験」のために大いにやくだってくれた言葉を少しづつ紹介してゆくことにしましょう。

例によって、また中途半端にとつぜん終了してしまうかもしれませんが、どうか多めに見てください。
by amselchen | 2008-08-28 04:42 | Tessar 2.8/50

逝きし夏の思い出のために・続


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もう夏が盛りをすぎたころ野原で。自己意識を撮る。



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南チロルを忘れがたく、妻が帰国してから買い求めたエーデル・ワイス



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過ぎ去った夏、そのころは光に満ち溢れ、・・・嗚呼
by amselchen | 2008-08-27 03:48 | Sonnar 3.5/135

逝きし夏の思い出のために


二日前の日曜日から原因不明の背中の痛みに悩まされて、エントリーが滞っています。

そこで、お茶を濁すため(またか、という声が聞こえる)7月初めの夏まっ盛りのころの写真を幾つか・・・


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by amselchen | 2008-08-26 16:04 | Tokina SD 28-70

「経験」がみちびく「生」


日本からドイツへ引越してくるときに持ってきた本はそう多くはありませんが、その中には『森有正全集』もありました。

しかし昔ほどしばしば紐解くということは、今はありません。ときおり思い立っては開いてみる、という程度でしょうか。


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彼が折にふれて書き記した当時のフランスと日本の文化と社会、あるいは世界情勢をめぐる考察は、今となってはもうずいぶん古びたものとなってしまい、なんだか読むたびに痛ましい思いをしてしまうからです。

端的にいえば、時代遅れ、誤った世界認識といった部分があって、どうも自然と遠ざかってしまったのです。

しかし、彼の哲学的エッセイは、前回も述べたように、叙情的な文章で読むものをみずからの思索へと導く効果がある、と個人的には考えています。その点では、思索をこころざす日本人には、けっして古びることのない新鮮な水を湧き上げ続ける泉のような貴重な仕事だと思っています。

とくに彼の思索の中心テーゼである「経験」という言葉は、わたし自身が齢をかさね、その当時の彼よりも年上になって、遅まきながらも腑に落ちるように理解ができるようになりました。

それは、「実存的体験」が定義するその人の「生そのもの」、といいかえても良いのではないかと思います。

また「経験」という言葉の理解の仕方も、その人の「経験」による、といってもいいでしょう。

主著『遥かなノートルダム』は、いまでも文庫本で手に入るはずですから、興味をお持ちの若い読者がおられるなら、ぜひ一読されることをおすすめします。


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by amselchen | 2008-08-24 06:53 | Macro-Elmarit-R 60

遠ざかる森有正


前々回ふれた森有正の言葉ですが、やはり気になって原文を探してみました。まずは代表作『遥かなノートルダム』から、とばかりパラパラとめくりはじめました。

そして、なんとすぐその言葉を探し当ててしまいました。

第一篇、『霧の朝』の冒頭近くにそれはあったのでした。なんという不覚。

それはすでに引用したものとは違っていましたが、おおもとの意味ではクロースしていたでしょう。以下にその部分を引用します。


「水位のおちたセーヌは池の水のように動かず、ケー(岸壁)に沿う道路には、車も人影もまばらであった。こういう日が毎日毎日続きはじめると、人々は仕事と夜の燈火とにその憂鬱を晴らす本当にパリらしい生活が始まる。今年はそれが例年よりも大分遅れ、大学の新学年の開始と同時にやって来た。夏の光にひかれて外に向かって激しく開かれていた感覚も静まり、心は内へ向かう。途切れていた反省と思索とが、しばらく忘れていたリズムを取りもどしながら、内面を流れ始める。」


若かったわたしは、このような森の叙情的でありながら人を思索へと導く文章が好きでした。

シナ文学をとるか仏文に行くか迷った挙句、結局シナ文を選んでしまったわたしを大いに後悔させてくれたのが、森有正の文章でした。

シナの歴史文学哲学には、どうにもぬぐいきれぬ違和感を覚えるわたしにとっては、やはり選択コースを誤ってしまったのかもしれません。


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しかし、シナ遊学をへて思いがけず欧州に生活するようになってからは、あれも回り道だったとはいえ、けっして無駄なことではなかった、と考えるようになりました。

そして、かって、思いをめぐらせ精神を養った場所へと帰ってきたのだ、と考えることにしました。

しかし、そのときにはもう森有正はこの世での仕事を終え、遠く旅立ったあとだったのです。そして今ではもう彼のことを語る人もめっきり少なくなってしまいました。

その死後三十年以上が過ぎ去り、ますます遠ざかる彼の背中をみつめるように、わたし自身の生を踏みしめてゆこう、とわたしは今、考えているのです。
by amselchen | 2008-08-23 06:03 | Macro-Elmarit-R 60

ぜっ不調


今日は、森有正のつづきを予定していたのですが、調子不良のため、写真だけアップという手ぬきでお茶をにごそう、っと。


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カメラは、昔の「女房」に浮気して、Petanx K100Dです。


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秋の気配を感じていただけました、か?
by amselchen | 2008-08-22 05:06 | Sonnar 3.5/135

内へとむかう感覚

ブンガクが、小説という手法を手に入れ人の内面を描くようになって「近代文学」が成立したとするならば、近代工業文明の生み出したものの一つである写真撮影が、はじめから人の内面を映し出すものであったことは何の不思議もないでしょう。

それはつまり写真もブンガクだということです。

およそ人が表現するという行為を、「ブンガク」と定義するからです。それが近代、ということなのでした。

これにはさらなる説明が必要かもしれませんが、ここでは触れないでおきましょう。

ただ、わたしが写真撮影を行うに際しての自己意識として、ブンガクしている、ということが念頭にあることを告白しておきましょう。


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さて、地球はゆっくりと回転して、また季節の舞台をかえて行きます。

哲学者・森有正は、長年パリで暮らし、またそこでその生を終焉させたのですが、彼のいくつかの心に残る言葉の中で、欧州に暮らしてみてよく実感できるものがあります。

正確な引用ではなく、わたしの内面に沈殿する言葉として述べておきます。それは、

<夏の休暇が終わり、人々がパリに帰ってきた。夏の間、外に向かって開かれていた感覚が、内面へと帰ってゆく季節がやってきたのだ。>

というふうなものでした。今、そのことばが彼のどの作品で記されたものか思い出せず、原典にあたることができません。



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<夏の間、外に向かって開かれていた感覚>とは、欧州の、とくにアルプス以北のヨーロッパでの生活をよく言い表しています。

暗く長い冬をもつ欧州では、夏には、人はかけがえのない陽の光を体中にうけとめるため心身ともに外界へ外界へと開いてゆく、そのためにバカンス(ドイツ語ではウアラウブ)というものがあり、人は太陽をもとめて南へ南へとむかい、そしてまるで植物が開花するように人々の感覚がいっせいに開放されるのです。

欧州各地で、野外での音楽祭や劇が催されるのもその人々の感覚の開放とふかく結びついています。

そして、秋がきて、花々が散って実が成るように、人々の感覚が内面へと帰ってゆく。

欧州の生活の実感をうまくつかまえた表現である、と思います。そのように欧州での生活は自然と時の推移にしたがい移り変わり繰り返されているのです。
by amselchen | 2008-08-21 06:42 | Tokina SD 28-70

風立ちて粛然たり


日本のみなさまが残暑にくるしむなか、こちらではもう粛粛とした秋風が立ち、空の色にもすこしく刷毛でひと掃きしたような一種のいいしれぬ感情が走る、今日この頃です。

高緯度地方の特色でしょうが、ドイツの秋は遠慮もなく足早に近寄ってきます。

今年は、夏休みも八月初めに終わり子供たちの歓声が聞こえてきた裏の水浴び場も、もう門を閉じてしまいました。

今は、カナダ・ガンたちが、かっては人々でにぎわった草場をわがもの顔にふるまうのが見えるだけとなりました。

これで今年の夏はもう帰ってこないのだ、という諦観を誰も口にはだしませんが、それぞれがその胸のうちに、休暇でおとずれた地中海などのリゾートでの思い出とともに、夏を埋葬する季節なのです。

若き者たちは甘美な、歳をとったものたちはやや渋みのかった、それぞれの思いを、夏とともに過ぎ去った美しい時を心に沈めてゆくころとなりました。

これからやがて来る長く暗い季節の前には、それでも一瞬にせよ森や街路樹を燃え立たせる黄金の時があることさえ忘れて、人々はもう冬篭りのための心の準備をはじめねばなりません。

年毎のちがった感慨と、いつもきまって湧き起ってくる捨て場のない哀しみを飼いならし、そして身近なものたちと身を寄せ合いささやかなぬくもりを分かち合う、あの季節を迎えねばならないのです。

草原の花々もこの時をむかえ、小さくも情熱に満ちたささやき声を、吹き始めた蕭然とした風にぶつけています。

残暑のなか、秋を待つみなさまとは、少しちがった秋をもう迎えているドイツから挨拶を送ります。

どうかお体大切に、そして残り少ない夏を少しでも多く楽しまれますように。あなかしこ




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by amselchen | 2008-08-20 01:35 | Macro-Elmarit-R 60