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アムゼルくんの世界 Die Welt des Amselchens 

遠ざかる森有正


前々回ふれた森有正の言葉ですが、やはり気になって原文を探してみました。まずは代表作『遥かなノートルダム』から、とばかりパラパラとめくりはじめました。

そして、なんとすぐその言葉を探し当ててしまいました。

第一篇、『霧の朝』の冒頭近くにそれはあったのでした。なんという不覚。

それはすでに引用したものとは違っていましたが、おおもとの意味ではクロースしていたでしょう。以下にその部分を引用します。


「水位のおちたセーヌは池の水のように動かず、ケー(岸壁)に沿う道路には、車も人影もまばらであった。こういう日が毎日毎日続きはじめると、人々は仕事と夜の燈火とにその憂鬱を晴らす本当にパリらしい生活が始まる。今年はそれが例年よりも大分遅れ、大学の新学年の開始と同時にやって来た。夏の光にひかれて外に向かって激しく開かれていた感覚も静まり、心は内へ向かう。途切れていた反省と思索とが、しばらく忘れていたリズムを取りもどしながら、内面を流れ始める。」


若かったわたしは、このような森の叙情的でありながら人を思索へと導く文章が好きでした。

シナ文学をとるか仏文に行くか迷った挙句、結局シナ文を選んでしまったわたしを大いに後悔させてくれたのが、森有正の文章でした。

シナの歴史文学哲学には、どうにもぬぐいきれぬ違和感を覚えるわたしにとっては、やはり選択コースを誤ってしまったのかもしれません。


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しかし、シナ遊学をへて思いがけず欧州に生活するようになってからは、あれも回り道だったとはいえ、けっして無駄なことではなかった、と考えるようになりました。

そして、かって、思いをめぐらせ精神を養った場所へと帰ってきたのだ、と考えることにしました。

しかし、そのときにはもう森有正はこの世での仕事を終え、遠く旅立ったあとだったのです。そして今ではもう彼のことを語る人もめっきり少なくなってしまいました。

その死後三十年以上が過ぎ去り、ますます遠ざかる彼の背中をみつめるように、わたし自身の生を踏みしめてゆこう、とわたしは今、考えているのです。
by amselchen | 2008-08-23 06:03 | Macro-Elmarit-R 60