嘔吐なし
かって一世を風靡した<存在主義>(仏:Existentialisme、英:Existentialism、独:Existentialismus)、
これをなぜか「実存主義」という造語までして和訳した翻訳者の苦労が逆目にでて
よく理解されないままそのブームは去った。
<Existenz>とは本質がゲンジツに<現れ出でる>ということでそれを<現実存在>と訳し
さらに<実存>と短縮したものらしい。
個人的には<存在主義>でよかったと考える。
(実際、シナ語では素直にそのように訳している。)
そうであってこそ<存在>とは何か?という思索を導くからだ。
しかし、存在とは思索して理解が及ぶものであろうか?
そこに欧州哲学の限界があるように思われる。
サルトルの小説『嘔吐』では木の根を見て嘔吐する男が描かれた。
しかし男が何故嘔吐するのか?
現実に露出している存在のグロテスクさが原因だということだが、
まあ、「考えすぎですよ、お兄さん」、といいたい。
そんなことをくだくだ「思索」してもしかたがない
存在とは考えて理解するものではなく、深層心理でその全体を感じるもの
なのであります。
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by amselchen
| 2010-06-04 16:10
| Ai Nikkor 50/1.4S