待ち伏せする風景
さみしい風景に
待ち伏せにあった
と思うことがままある
それは意識と無意識のはざまに
何者かがふともぐりこんでくる
感覚だ。
つまりボーッとしているときに
風景が視界に飛び込んできて
そしてわたしのどこかを蹴りあげる。
それはおそらく
わたしというものの本質に
直接関係のあるものが
わたしに直接語りかけているのだ。
しかしそれはなぜ
さみしい感情をもたらすのだろうか・・・・
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by amselchen
| 2009-05-02 07:52
| Vario-Elmarit 14-50