アムゼルくんの世界 Die Welt des Amselchens 

カテゴリ:ZD40-150( 17 )

去年の秋は


もっと長かったらしい。

2008年11月8日の日付のお蔵をのぞいてみた、


b0148617_20553510.jpg


More
[PR]
by amselchen | 2009-11-22 20:59 | ZD40-150

谷間の村 野の花


b0148617_18523458.jpg


More
[PR]
by amselchen | 2009-11-15 18:54 | ZD40-150

寒風の中のアムゼル

今年のクリスマスはよく晴れた。

珍しいことだ。

晴れたは良いが、その分寒い。

寒風が高い空へと吹きぬける。

あちこち餌をさがしあるくのも面倒なので

人家の餌場でしのごう。


b0148617_0323262.jpg



そう思ったのかアムゼルは

餌場の近くの林檎の枝にとまり

なんだか悲しそうな目をしていた。

これも心象風景なのだろうか・・・

そういえば前夜、悲しい夢を見た。

豚児が親離れをして巣立って行く夢だ。

まだ幼いくせに自意識だけが肥大しつつあるようで

親の言うことと違うことばかりをする。

いよいよそんな秋至るか

うれしさも極まれば

悲しみがやってくる。

よくある話なのだが・・・
[PR]
by amselchen | 2008-12-30 00:33 | ZD40-150

凡庸という愉しみ

サンケイ<イザ>における姉妹ブログで昨日エントリーした写真ですが、ここでもアップしたいとおもいます。

冬の暗さのなかで、夏の風景に慰めをもとめる毎日ですが、この写真をみつけなんともいいようもない思いをもったからです。

わたしのHNである<amselchen>は、この野鳥の名前によっています。

ドイツ語では<Amsel>、英語では<Blackbird>、そして和名は<クロウタドリ>といいますが、日本にはいない鳥です。

ドイツ語の<-chen>は日本語の<ちゃん>にあたるような接尾語です。ですから<amselchen>は、<アムゼルちゃん><アムゼルくん>というほどの意味です。

<Amsel>は、欧州にはごく普通にみられるありふれた身近な鳥です。これについてはこちらで述べていますので、よろしければご覧ください。


いずれにせよ、わたしのこの鳥への思いは幼きころ好んで聴いたビートルズの『White Album』の中の一曲『Blackbird』のバックに流れていたその歌声に魅せられてからずっと続いているのです。




本来なら今書きつけているようなことは、ブログ開始時に述べておくべきだったでしょうが、当初はイザからの読者の皆様にアクセスいただいているだけでしたから、余計な説明ははぶいてしまったのでした。

わたしはアムゼルのようなありふれた、人の生活の中にいるといってもいいほどの、しかし別の場所、たとえば日本ではまったくといっていいほど知られていない野鳥に、ある表徴を見出している、というべきでしょうか。

どうしようもない凡庸であっても、ある受け手にとっては何か意味のある歌が聞こえてくる、そんなブログを目指しているのです。(ううむ、少しすかし過ぎか・・・)

ただの凡庸で終わってしまうかもしれませんが・・・(苦笑)

b0148617_4255867.jpg

[PR]
by amselchen | 2008-12-20 04:29 | ZD40-150

光へのオマージュ


東京近辺の冬は、冷たい空っ風が吹くものの、陽の照る日が多く、部屋の中の窓際で猫と一緒にごろんと日向ぼっこなどしたことが無性に懐かしい。

そのありがたさがしみじみわかったのは、ドイツへ来てから三年もたったころだろうか。

当初は寒さに気をつけるようにといわれて、意識がそっちのほうへばかり向いていたからだ。

しかしドイツの冬の寒さはそれほどでもない。

問題は日照時間なのだ。

日の出は遅く日の暮れは早い。

そして日中、陽の射すことはまれである。

どんよりと低く重く垂れ込めた黒い雲が、まるで空にふたをしたような、

まるで壷のなかに押し込められたような息苦しさを感じる日がつづくのだ。

これが、どうしようもなく人の気分に影響する。

だから人は、冬にはたいがい眉間にしわを寄せている。

頭痛もする。

低気圧だからだ。

そんなとき、どうするか?

ひとそれぞれ対策はあろう。

地中海地方やカナリア諸島、あるいはカリブ諸島などへ逃げ出すもの、

スキーへでかけ気晴らしするもの、

映画や音楽界へ頻繁に出かけるもよし、

とにかく気候のことを頭から追い払う苦心をする。


b0148617_148293.jpg



わたしは、イタリアの夏を想う。

いつもならナポリだ。

カプリ、ソレント、イスキアと輝く夏の海岸を想う。


今年は南チロルの写真を眺める。

まぶしくもまろやかな光、

暖かくやさしい風にそよぐ高原の野草、

その息吹、

わずかひとときの夏の日々の刻印、

それだけで、

ながい暗い冬に対抗できそうだ。


b0148617_364636.jpg

[PR]
by amselchen | 2008-11-28 01:53 | ZD40-150

光と風の中へ

あいもかわらずの鬱陶しい日がつづく。

もちろん撮影する機会もない。

仕方がないので夏の高原へとまた帰る。


南チロルのマイルドな風と、強くはあるがあまりそれを肌には感じない陽射。

高原にはむせかえる野草の息吹と羽音も響けといそがしく飛びまわる虫たちが、

短い夏をそれと知ってかどうかは知らないが、精一杯生きているように見えた。

それは実はわたしの意識する世界ではあったろうが・・・・


そして農家の家畜たちのようすがまざまざとよみがえる・・・


といっても写真からだが(苦笑)


このものたちの体温まで思い出される。


b0148617_2374743.jpg



鶏だって抱くと暖かいのだ、ご存知であろうか?

このものたちも、与えられた生を、甘んじてだろうが、それでも同じ場所同じ時を生きていたのだ。

と、不思議な連帯感でながめる自分がいた。

欧州人たちのように人間に奉仕するために生まれてきたものたち、

とは、このものたちをどうしても考えることができない。

同伴者として見てしまうのだ。

同じ世界に生を受け、そしてどう生きるか考えるのが人間だとして、さて

このものたちが、それを考えていない、と

誰が断言できるだろう。


b0148617_2404490.jpg



機会があれば聞いてみるがいい、

その目が何かを語っているのに

虚心に耳を傾けて。


君自身の秘密が囁かれているかも

知れないではないか。
[PR]
by amselchen | 2008-11-27 02:44 | ZD40-150

花という表徴


花の写真を撮る、そして大急ぎで図鑑で名前をしらべる。あるいはあらかじめ花の種類や名前が頭に分類されていて、野に咲く花を見てすぐに名前が特定できる。

そういう才能も、また努力への希求もわたしにはない。

ただ、「ああ、きれいな花が咲いている、一枚撮っておこう」。

それだけである。

分類や名前の特定には興味がないのだ。

名前を調べ当てたところで和名だけではしかたがない、かといって、英語名、ドイツ語名、シナ語名、ラテン語名すなわち学名などをすべて記憶するのは不可能である。

わたしには博物学者、植物学者としての特性がまったく欠けているようだ。


ただ、ただ、ある花の姿そのものに関心がある。あるいはせいぜいその咲いていた場所の風と光のぐあい、つまり自然環境に目がゆく程度である。


そしてここからが他の人にはなかなかわかっていただけないことなのだが、


b0148617_636722.jpg



その花がそこで咲いている意味とは何か>、と考えてしまうことである。

それは何かの表徴であるにちがいない>、とつい思ってしまう。


つまりこういうことだ。

わたしは世界の細分化よりも、細分化されてそこに投げ出されている現象から世界の根源的な姿や意味をつかみたい、という性向があるようなのである。

これはこれで実にこまった事態なのだ。

だから、わたしはわたしの性向をもっと分析してみたい、そして少しは楽なきぶんになりたい、
そういう志向性がこのブログのひとつの柱なのである。

興味のない方はどうか読み飛ばしていただきたい。

これはもちろんわたし個人の問題であろうからだ。
[PR]
by amselchen | 2008-11-23 06:22 | ZD40-150

ZDレンズの夏

夏の休暇では、ちょうど購入したばかりのE-520ダブル・ズーム・キットでずいぶんと愉しませてもらった。

今、冬となりそのころの写真を見ていると半年にもならない過去のことが、ずっと昔のことのように感じられる。

それはいまキット・レンズをほとんど使用することがないからだ。

現在は、Tessarを皮切りにM42マウントのJena製Zeissを主にMF単焦点レンズをアダプター経由で使用している。


b0148617_493244.jpg


それでもこうして夏の写真を見ていると、そのときはファインダー性能が低いなどの不満は感じていなかった。なんどもくりかえずが、ZDレンズでAF撮影ならばE-520で問題はない。それどころかかなりよい解像度ですっきりとした画が取れる。


AFならファインダーの役目は、構図を決めることと合焦したかどうかを確認するだけだからである。とはいえ合焦をはっきりとは確認はできずグレーゾーンの中で、大体いいかな、というあいまいなところで決定してシャッターを押さねばならない。

それでもおおよそはうまく行くようだ。もちろんピンボケのこともままある。しかし信頼にたるAF精度であると思う。

E-520については、これからはZDレンズを主に使用することにする。

MFアダプター遊びはE-520のテリトリーではないのだ、とけじめをつけたい。

そういう風に割切ればE-520は小型軽量システムとしてはよい選択であった。これが半年弱という短い期間ではあるが使用してみてのE-520に関する中間総括である。
[PR]
by amselchen | 2008-11-21 04:12 | ZD40-150

ありふれた珍しさ


植生も昆虫の生態も、ドイツと比較して、もちろん日本と比べても南チロルではまったくちがっていました。

昨日の写真の蝶も、これから紹介する蝶も、わたしには珍しく、夢中で撮ったものです。


b0148617_548024.jpg



これは<Kaisermantel>(皇帝のマント)という名前らしいです。

なぜそれを知ったかというと、ほれこのとおり、


b0148617_5502554.jpg


そう名づけられると、たしかにそのような模様にも見えます。いわれなければそうは見えないので、これも言葉の力でしょうか?

それはともかく、自然保護区のためか、訪れる旅行者に親切な掲示板が独伊両国語で、あちこちに立てられているのです。

これによると、昨日アップした蝶は、<Widderchen>(雄羊ちゃん)というらしいですね。

あのあたりでは、ごくあたりまえのものなのでしょうか、誰も注意していている人はいませんでした。

まあ、過疎の村ゆえ、人そのものが少ないのですが。

人が少なければ少ないほど自然はよく保たれる、これがあいにく事実なのでした。
[PR]
by amselchen | 2008-09-28 05:54 | ZD40-150

野に光満ちて


夏がふくらんで世界に満ちていたころ、その野には見知らぬ草や花、そして虫たちの生気にあふれていた。

南チロルでは、イタリア人たちも自然の中で満ち足りているように見えた。

もっとも田舎嫌いの面倒くさがり屋で、次の角のピッツアリアへさえ車を乗りつける、というナポリ人はこんな山へなどやっては来ない。

そしてその過疎の村では、ほとんど人気がなく、草や花、そして虫たちの天下であったのだ。


b0148617_4254670.jpg



惜しみなく注ぐ光、木々と高原を渡ってゆく風、野の中を隠れるように流れる小川、たのもしく背後にひかえる山々。

それらの思い出の利息でこれからの昏い季節をやり過ごす、そのトレーニングが始まった。

夏に撮った写真は大いなる力でわたしを支えてくれるだろう。あとは、パヴァロッティの唄があれば、またこの冬もやり過ごすことができるだろう・・・・か?
[PR]
by amselchen | 2008-09-27 04:39 | ZD40-150