アムゼルくんの世界 Die Welt des Amselchens 

カテゴリ:Flektogon 2.8/20( 11 )

ポジとネガのように


蔵出しがつづきます。

あまり出番がないFlektogon20mm,

お蔵入りしたものもその数は多くはありません。


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by amselchen | 2009-11-25 05:17 | Flektogon 2.8/20

あら、フレさん、寄ってらっしゃいよ♪


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by amselchen | 2009-09-26 14:57 | Flektogon 2.8/20

夢見る頃をすぎても

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by amselchen | 2009-08-06 01:24 | Flektogon 2.8/20

広角ってこうだったんだよね

と思わせる、これもあまり出番のないFlektogon・20mm。

ファインダーでジャスピンと思いきや、PCで見るとずいぶんと甘いことがままある。

よってE-520ではほとんど使えない。

しかしM42なのでK100Dがある。


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それでもファインダーで合わせたはずのピントがPCではやはり甘い。

かといってあまり絞りたくない。

このレンズはシャープさではなく、強いコントラストで撮るべきなのかもしれない。

それれはそれとして、K100Dでは換算30mmの焦点距離だからまあ広角である。

Distagon・18mmならどうであろうか、とついついまた虫がうずく。


まあなりゆきで手に入ることもあろうさ、無理してさがすこともあるまい、

ととりあえず達観しておこう。
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by amselchen | 2009-02-25 02:48 | Flektogon 2.8/20

パンケーキはお休み


曇りの日、パンケーキの解像度が一気に低下したように感じるのは気のせいでしょうか。

週末の撮影の結果は、あまりにボーッとさえない出来上がりなのでエントリーをはばかりました。

そこで少し道草を。

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弱い日差しをあびるテラスと庭でお茶を濁します。


なんという名前の花か奥さんは知っているのですが、わたしはちんぷんかんぷん、まあ菊の一種なのでしょうね。


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紫の花がさみしく庭の隅で咲いています。この花が咲くとやはりもう晩秋、という思いを強くします。毎年咲いてくれる多年草です。
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by amselchen | 2008-10-22 03:32 | Flektogon 2.8/20

M先生の思い出

前回は、マオ・ドンの『子夜』から話を起こしたのだったが、それでマオ・ドン(茅盾)の専門家であるM先生のことを思い出した。あえてお名前は記さずとも少しシナ文学を知る方なら、ああ、あのM先生、とわかるはずである。

しかしわたしは先生の弟子でもなんでもない。ただ一年だけその講義を拝聴しただけなのである。先生は少しもきどったところがなく、かなりイージーゴーイングな面もあり、それで時には、「今日は休講にして少しおしゃべりでもしませんか」といわれて急遽喫茶店でのだべりとなったこともあった。

先生はかなりの酒量らしく、講師室で召される紅茶の中身の半分はウイスキーだとのうわさもあった。しかし喫茶店ではそうも行かない、不味そうに紅茶をすする先生の黒々とした長髪がいつもはらりと前に落ちるのを、面倒そうにかきあげる、いかにも文人然としたお方であった。

先生ご自身の勉強は、その専門であるマオ・ドン(茅盾)についての日本ではほとんど唯一の研究入門書である『薄命の文学』に結実している。平易な文章で堅実な研究成果が淡々と述べられているのだが、そこには表ざたにはなっていない茅盾の秘密もちゃんと言及されている。というより、それはM先生の研究により明らかになったものなのである。

それは茅盾は、中共設立時の北京と上海の連絡員であり党設立以前に大変な「功」をたて、しかしずっと秘密党員であった、ということだ。彼は、魯迅とも近く、それは思想精神ばかりではなく、一時は上海での住居も隣接していたほどなのだが、シナ文壇の中心人物の一人であった。

誰にでも受け入れられるその穏やかな性格で、激しい左翼内部の論争と国共両党のテロの中で、革命の動乱を生き抜いた茅盾は、中華人民共和国成立後は筆を絶ち、文革の嵐にも批判をまぬがれ、「紅楼夢」研究に静かな晩年を送った。ゆえに1930年の作品・『子夜』がその代表作になった。


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歴史はめぐりパラダイムも変容した。魯迅や茅盾がいまの自国の有様を眼にしたらいったいなんと思うことであろう。M先生のその後のことは存じ上げない。あまり表に出たがらないご性格でもあるし学問対象が渋すぎることもあって、ほとんど一般社会に知られることもなかったから、学問の世界とは無縁のわたしには知るすべもない。

そのころは、わたしたちは言うに及ばず、先生もまだお若かった。その当時の先生の年齢を自分がはるかに超えてしまってから、優柔不断にみえた先生の言動の意味がいまやっとしみじみとわかってくるのである。

そのお姿も薄明かりのような記憶の中でおぼろになってしまったが、しかしその薄明のかなたになにか暖かいものが息づいているように感じられるのは、それがわたしの回憶であるからなのであろうか。
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by amselchen | 2008-09-20 05:55 | Flektogon 2.8/20

E-520導入二ヵ月後のロード・マップ


レンズ中心のシステムとは、レンズが主でカメラが従、つまり「替えカメラ」を実行するということです。

ほぼ一年毎にモデルチェンジされるカメラにくらべて、レンズの寿命はずっと長いのですから、レンズを中心にしてカメラを替えてゆく、ということは実に道理にかなったことではないでしょうか?

そのためにこれからは、ペンタックスLimited DAレンズのようなペンタックスでしか使用できないものは買い控え、そしてCosina製 Zeissのような共有性の高い、しかも高解像度でフルサイズにも対応するレンズを中心に購入してゆこう、と考えています。しかし価格がねえ・・・

またマイクロ・フォーサーズではLeicaMレンズの共有性がほぼ確認されていますから、これも平行して追っかけをしたいものです。


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いまはすべて獲らぬ狸のなんとか、ですが、総じていえばZeissとLeica中心のシステム構築ということで概括できるかもしれません。中古品ならそう資金も必要ではありませんしね。とくに旧東独Zeiss Jena製造のM42マウントは、市場流通量も多く値段もてごろです。そうでなければわずか二ヶ月(実質一ヶ月)の間にこれだけのレンズは買いきれませんとも。

今は若干息切れ状態ですが、今後は京セラ・コンタックスとCosina製 Zeissにターゲットをしぼって行こうか、と買い控え(実は貯金)中なのだ。

というわけで、無謀ともいうべきMF単焦点マウント・プラットフォームとしてのE-520使用二ヵ月後の感想と気の迷い、さらには、あくまでわたしによるわたしのための個人的ロード・マップ作成をめでたく終えることにします。(かってにせい、との声が聞こえる・・・)
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by amselchen | 2008-09-08 04:48 | Flektogon 2.8/20

E-520導入二ヵ月後の気の迷い


もしキャノンのフルサイズが二種類発売されて、その一つが廉価なら・・・と食指がうごくのですが、しかしマイクロ・フォーサイズもまもなく発売されるという現在の状況では、ううむ、と銀行口座残高をにらみつける毎日です。


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イザのにゃんこ師匠は、「全マウント制覇の野望樹立か」と揶揄されましたが、希望としてはそのとおりですわね。しかしまあ、全マウント全種とまではもちろんいきませんが、主要な各マウント、たとえばLeica R、M42 Zeiss、京セラContax Zeiss、Cosina製 ZeissとVoigtländerなどの名玉を中心にシステムをくみ上げたいものです。


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つまりあくまでレンズ中心で、カメラ本体はレンズ・マウントに沿って使い分ける、ということになるわけですが、しかし今ならまだ両足首が入った沼から後戻りはできそうでもあるのですね。

こんな妄想は棚上げして、まずはE-520をあと最低一年くらいは使いつぶす、のが現実的でしょうか?


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諸師匠諸先輩方々のアドヴァイスをお待ち申し上げております。てへへv
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by amselchen | 2008-09-07 05:20 | Flektogon 2.8/20

二度目のパリ

二度目にパリを訪れたときの落胆をどう描写すればよいのかわかりません。はじめての訪問からすでに十年近くがたっていました。その間、わたしがたどった紆余曲折がわたしにあらたな視点をあたえた、ということもあったでしょう。

しかしわたしのパリへの見方をすっかり変えてしまった理由はもっとはっきりしています。

それは、ローマを見てしまったからです。

ローマこそ真の欧州の首都であって、それと比較してのパリのみすぼらしさ、底の浅さ、虚飾と化粧の厚さ、それらのいちいちにうんざりするほどでした。

だから、パリに幻想をだきつづけたい方がもしおられたなら、ローマに行ってはいけません。


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その後、三度目におとずれたパリには、わたしはもう何の感慨もわきませんでした。それはごくありふれたつまらない街に見えて仕方がなかったのです。

ローマにくらべて、ましてやナポリとはまったく比較にならないほど魅力のない都会、それがわたしにとってのパリになってしまったのです。

それが幸福なのか不幸なのかは、わたしにはわかりません。それでも機会があればまたおとずれて見たいとは思います。しかし無理に機会を作ろうとまでは思わない、という程度のものに成り下がったパリ。やはりそれは不幸というべきなのでしょうか?
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by amselchen | 2008-09-05 05:19 | Flektogon 2.8/20

Flektogonでちょっとピンボケ、雰囲気をひとつ


Flektogonでちょっとピンボケですが、雰囲気をひとつみてやってくださいな。


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トルコ・レストランでの午後のひと時でした。
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by amselchen | 2008-09-02 04:26 | Flektogon 2.8/20