冬を折り返す
冬至を過ぎてからが実は寒さの本番なのであるが、それでも気分が明るくなるのは、日が日一日とのびてゆくからだ。
それがどんなにありがたい慰めであるか、渡独して数年たってやっとわかったものだった。
寒さへの心の準備はしていたのだが、そっちのほうはすっかり裏切られた。
つまりそれほど寒くはならないのである。
しかし暗い。
高緯度地方の冬はあくまでも暗い。
それである冬はとうとうデプレッションになりかかったものだった。
部屋にあるったけの灯を点せ、と知人から云われた。
そしてなるたけ顔の近くにランプを照らすことがよい、とも。
さっそく実行してみたが、これが結構効く。
体が光を求めているのだった。
そしてパヴァロッティの歌声に救われた。これはもう以前に他のブログで述べておいたのでここでは繰り返さない。
ようするに気を紛らわすことが肝心だというわけだった。
それには夏の光と風と水の思い出がいちばんよかった。
とくにイタリアの夏。
そしてそれからはイタリアで休暇を過ごすときは、こころがけて風景と風のそよぎ波のざわめきなどを体全体で記憶するようにしてきた。
それからは暗くあくまでも暗いドイツの冬が少しすごしやすくなったのだった。
そうやってとにかく冬を折り返す地点までたどりつけば、あとはもう寒くてもなんでもいいから、伸びる日とともに一歩づつ春へと近づいていけるのだ。
それがどんなにありがたい慰めであるか、渡独して数年たってやっとわかったものだった。
寒さへの心の準備はしていたのだが、そっちのほうはすっかり裏切られた。
つまりそれほど寒くはならないのである。
しかし暗い。
高緯度地方の冬はあくまでも暗い。
それである冬はとうとうデプレッションになりかかったものだった。
部屋にあるったけの灯を点せ、と知人から云われた。
そしてなるたけ顔の近くにランプを照らすことがよい、とも。
さっそく実行してみたが、これが結構効く。
体が光を求めているのだった。
そしてパヴァロッティの歌声に救われた。これはもう以前に他のブログで述べておいたのでここでは繰り返さない。
ようするに気を紛らわすことが肝心だというわけだった。
それには夏の光と風と水の思い出がいちばんよかった。
とくにイタリアの夏。
そしてそれからはイタリアで休暇を過ごすときは、こころがけて風景と風のそよぎ波のざわめきなどを体全体で記憶するようにしてきた。
それからは暗くあくまでも暗いドイツの冬が少しすごしやすくなったのだった。
そうやってとにかく冬を折り返す地点までたどりつけば、あとはもう寒くてもなんでもいいから、伸びる日とともに一歩づつ春へと近づいていけるのだ。
by amselchen
| 2008-12-17 02:11
| Planar 1.4/50 T*